岡田隆選手 現役引退記者会見

2016 11/10
チーム

11月10日(木)、ヤマハスタジアムの記者会見室で、「岡田隆選手 現役引退記者会見」を行いました。

岡田 隆選手 コメント

 今日は皆さん、お忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。この引退会見をするにあたって、引退という決意を服部強化部長に伝えたときに、「引退会見はどうするか?」と言われまして、僕の中で引退会見というイメージはスター選手とか、そういう方がするイメージだったので、「結構です」と言ったのですが、こうして素晴らしい場を用意していただいて、皆さんにこれだけ集まっていただけたことを、すごく感謝しています。

 僕のサッカー人生を振り返ってみますと、本当に周りの方に恵まれ、環境に恵まれ、幸せだと、充実していたなと、その一言に尽きると思います。

 まず、ジュビロサポーターの皆さんには、この静岡という土地柄もあるかもしれないですけど、本当に皆さんあたたかくて。僕はジュビロに入ってからJ1・J2入替戦も経験しました。僕は期限付き移籍中でしたけど、J2降格も経験しました。そんな中でもジュビロサポーターの皆さんは、いつでもあたたかく僕たちのことを支えてくださいました。苦しい試合のあと、良い結果が出ない試合のあとでも大久保に行けば、皆さん笑顔で「また次頑張ってね」と声をかけてくださって、僕たちはとても助けられ、支えられ、プレーすることができました。本当にジュビロサポーターの皆さんには、心から感謝したいと思います。

 また、僕がすごく幸運だなと思ったのは、最初にジュビロ磐田というクラブに加入できたことだなと今思っています。僕は素晴らしい技術があるわけでもなく、素晴らしい身体能力があるわけでもないのですが、こうして10年間、プロとして、プロサッカー選手として、過ごすことができたのは、ジュビロ磐田というクラブに最初に加入したからだと思っています。ジュビロ磐田に入って、技術や戦術はもちろんなのですが、プロ選手としてどうあるべきか、振る舞いの部分だったり、また、一社会人としてどういう姿勢を見せていけばいいのかというところをすごく学ばせていただきました。それは指導者の方はもちろん、チームメイト、特に先輩方ですね、先輩方の背中を見て、色んな言葉をいただいて、僕はなんとか10年間充実したプロサッカー生活を送ることができたのかなと思っています。また、その環境という意味では、指導者の方もそうですし、トレーナーの方々、マネージャーの方、クラブハウスを清掃、また練習着を洗濯してくださる方々、強化スタッフ、会社の方々、芝生を管理してくださる方々、数えるときりがないんですけど、本当に周りの方に支えられて、多くの方に応援してもらって、本当に素晴らしい環境で僕はサッカーが出来ているんだなと、今振り返ってみて思います。

 2015、2016シーズンはチームキャプテンをやらせていただきました。チームキャプテンとしては、物足りない部分、たくさんあったと思います。でも、ほんとにチームメイトに助けられました。苦しい時期もありましたが、みんながチームのためにということを考えて行動してくれて、僕を支えてくれたおかげで、みんなでひとつになってJ1昇格、そして今シーズンは厳しい残留争いがありましたけれども、なんとかJ1に残ることができました。みんなに支えられた選手生活だったと心から思います。また、チームキャプテンに任命していただいた名波さんには、本当に心から感謝しています。プロチームのチームキャプテンを任されるという経験というものは、本当に大きいもので、人としてすごく勉強、成長できたと思っています。

 また、2年間ではありますが、アビスパ福岡のサポーターの皆さん、アビスパ福岡の関係者の皆さんにも、心から「ありがとうございました」と伝えたいと思います。アビスパサポーターは、九州男児という言葉があるように、本当に熱い応援で僕たちに力をくださいました。そしてアビスパ福岡でも、2013年にキャプテンをやらせていただきました。成績自体は良い結果を出せなかったですけど、そこでもチームのためにどう動けばいいのか、チームが上手く回るためには、どう声をかけたりどう雰囲気をつくればいいのかということを、すごく考えさせられた年でもありました。アビスパ福岡でも、選手として人としてすごく大きな力をいただいたと思っています。本当に感謝したいと思います。

 また、プロになるまでですね、小学校から西益津小サッカースポーツ少年団、それからジュビロサッカースクール掛川、藤枝東高校、筑波大学と、多くの指導者の方、チームメイト、関係者の皆さんに支えられて、色々なことを学ばせてもらい、経験させてもらい、今の僕があると思っています。振り返ってみて、どこがポイントだなというよりは、もう全てですね。上手くいったこともいかなかったことも、苦しかったことも、どれひとつ欠けても今の僕はないんじゃないかなと思っています。ですので、僕がプロになるまで関わってくださった皆さんにも、心から感謝を申し上げたいと思います。

 

 そして、一番近くで僕を支えてくれた家族、妻、そして二人の息子にも「ありがとう」と伝えたいと思います。やはりサッカーをやっていく中で、色々あります。上手くいくこといかないこと。その中で、良いパフォーマンスを出すには、やっぱり心の安定というところが一番だなということはすごく感じています。そういった中では、いつでも味方でいてくれる存在というのは僕の中ですごく大きかったです。どんなときも味方でいてくれる家族がいるからこそ、僕は苦しいときでも前向きに行動できましたし、本当に家族にも感謝しています。その中で、少し僕の父親の話をさせてもらいたいのですが、2009年に病気で他界しました。僕の父親は小学校、中学、高校、大学も、ほぼ全て僕の試合を見てくれたと思います。父は野球出身でしたので、あまりサッカーのことは分からないので、僕が一番上手いよ、僕が一番クレバーだよというのを、まぁサッカーが分からないからこそいつも言ってくれて。だからもちろん上手くいかないこと、なかなか前に進めないことはたくさんありましたけど、家族同様、特に父親の存在は、絶対的に僕を信頼して応援してくれているという、その存在はものすごく大きかったので、特に父親には「ありがとう」と伝えたいですね。その父親が他界したあと、Jリーグで初先発した試合で、僕のJリーグ生活唯一のゴールが生まれまして、それも利き足ではない右足、おもちゃのような右足で、あのゴールが決まりまして、それに関しては父親が乗り移ってゴールをくれたのかなと。僕のキャリアの中でもそこがすごく大きなターニングポイントで、そこから試合に使ってもらえるようになりましたし、あのゴールがあったからこそ、今のこの10年間という生活に繋がっていると思います。ですので、父親には本当に何回も繰り返しになりますけど、「ありがとう」と言いたいと思います。

 

 そして今後、これからはジュビロの強化部のスタッフとして働かせてもらうことになりました。引退するにあたって、このまま選手を続けるのか、10月の頭くらいに強化部スタッフとしての話をいただきまして、すごく悩みました。ここ2年間は出場機会がほとんどなく、選手としてもどかしい時間、苦しい時間が続いて、このまま悔しいまま、苦しいまま終わっていいのかと。応援してくれている皆さんにも、もっと活躍する姿を見せたいという気持ちもありました。ただ僕が、昔からジュビロに入ってからですね、引退後はジュビロの力になりたいということはずっと思っていました。その中で、こうしたありがたい話をいただきまして、選手を続けること、そして新しい道へ進むこと、どちらが僕の中で情熱を傾けられるのかなということを考えました。僕の中で、どれだけ情熱を持てるかというところはすごく大切にしていまして、サッカーだけでなく、何かを成し遂げるには情熱というもの、どれだけ情熱のパワーがあるか、その大きさというものが大事だと思っています。そういうことを考え、選手を続けるのか、またジュビロの力になるために強化部スタッフになるのかを考えた結果、強化部スタッフとしてジュビロの力になりたいという情熱が僕の中で大きくて、そういう決断をしました。ジュビロというクラブは、今まで輝かしい歴史があります。今は苦しい時期を過ごしていますけど、これからもっともっと大きくなるべきクラブだと思います。僕ができることというのは本当にわずかだと思いますが、その情熱だけは誰にも負けないように、ジュビロを強くしたい、ジュビロを世界で戦えるようなクラブにしたいという情熱だけは誰にも負けないように、ずっと持っていたいなと思っています。

 本当に繰り返しになりますけれども、幸せな充実した選手生活でした。周りに恵まれ、環境に恵まれ、もうその幸せ度合い、充実度合いで言ったらスーパースター級だと思います。本当に皆さん、ありがとうございました。

質疑応答

――ジュビロでの10年間で一番の思い出の試合、出来事は?
一番の思い出はJ1・J2入替戦ですね。僕が2年目のときですけど、加入してから出場機会がない中、入替戦間近になってから出場機会をいただきまして、そこでなんとかみんなの力でJ1残留を勝ち取って、僕も試合に出させていただいて、そこがまずひとつ目のプロ生活の中でのターニングポイントだったなと思っていますので、それがなければ今がないなと思いますので、仙台のアウェイとホームでの2試合ですね、それが一番印象に残っています。

――引退を決めた一番のきっかけは?
ここ2年間は出場機会がほとんどなかったですので、そのままジュビロでやるというのは難しいなということは分かっていました。ですので、カテゴリー関係なく続けるのか、すごく悩んでいたのですが、そういう悩んでいる時期に強化部スタッフにという話をいただいて、そこから悩んで決断したという形です。

――決断するに至って一番のポイントになったことは?
 先ほども言ったように、情熱をどれだけ傾けられるかなというところですね。自分が楽しみとかワクワクとか、そういったところをどちらの方が持てるのかなと考えたときに、強化部スタッフに入って、できることは本当にわずかだとは思いますけど、力になってやっていきたいなという気持ちになったというところです。

――サポーターの皆さんにメッセージを
 サポーターの皆さん、10年間本当にあたたかく応援していただいて、ありがとうございました。苦しい時、正直多かったです。ですが、皆さんの声援が何よりの力でした。皆さんの「頑張ってね」とか「応援してるよ」という言葉に何回も救われました。ですので、これからは皆さんに、ジュビロ磐田というクラブを通してたくさん幸せを、楽しみとか、そういったものを提供できるように頑張っていきたいと思いますので、これからもジュビロ磐田への応援をよろしくお願いします。

――ジュビロの若い選手に残していきたい言葉や想いはありますか?
 藤枝東時代の指導者である服部先生に言われた言葉で、大切にしている言葉がありまして、「良い時は誰でもできる。苦しい時にどれだけできるかが大事だぞ」と口酸っぱく言われていまして、本当にその通りだなと。プロに入ってくる選手というのは、どのチームでもトップでやってきた選手ばかりだと思います。それがプロに入って、上手くいかないこと、壁にぶち当たることは数多くあると思います。でもその中で、どう自分を分析して、自分に足りないものをどう客観視してできるかというのはすごく大事だと思います。文句を言って、「何で出れない」とか「何でこんな状況なんだ」と嘆くのではなく、今苦しいときだからこそ大切にしてほしいなと、苦しいときだからこそ頑張りどきだなと考えて、前を向いてやってほしいなと思います。よく“ピンチはチャンス”と言いますが、自分の能力が足りないからこそピンチが来るわけで、ですから成長できるチャンスということで、どんな状況も前向きに捉えてやってほしいなと思います。苦しいこと上手くいかないこと、辛いなと思うこと、それをしっかり肯定して、それをしっかり引き受けて前に進むということを大切にしてほしいなと思います。