名波浩選手 現役引退記者会見

2008 11/14
選手

冒頭挨拶

本日はお忙しい中、私名波浩の引退会見にお集まり頂きありがとうございます。 引退に関しては今年はじめから、今年で引退すると決意しながらプレーしていたの でどうこうではないのですが、チームとの話し合いは11月からやりまして社長以下フ ロントの幹部・現場スタッフと話し合いました。 今後についてはまだ不透明な点がありますので明確なことが話せません申し訳あり ません。


質疑応答

■今の思いをお聞かせください。

気持ちは、「やり切った」という気持ちが非常に強いですし、なに不満なく充実した14年間だったと今振り返れば感じます。また、こうした記者会見を開いていただいたことはありがたく幸せな気持ちでいっぱいですが、14年前の入団発表の時と引退会見の両方の会見を開けるというは、ごくわずかな人間だけだと思います。そういう場を与えて頂いて感謝しておりますし、入団会見のときより(メディア)の人数が多いことが多いと思うので嬉しく思います。

■どんなアスリートも避けられない重大な決断ですが、その決断の決め手は?そして身近な方とどういう話をしたのか?

いろいろなところで話していますが、プロサッカー選手として1年間通して戦える身体にはちょっと遠いんじゃないかと自分自身で判断しました。また怪我の影響もありましたが自分のイメージするパス、細かく言えばボール1個分2個分のズレやバランスの悪さを自分自身で感じていたのが最大の決め手です。
身近な人には感謝の言葉を述べましたし、それ以外には、いろいろなタイトルとか日本代表などの名誉が自分の財産になりましたし、それ以上に一緒にピッチに立てたみんなに出会えて良かった。それが14年間の一番の思い出です。みんなにいい思いをさせてもらったという気持ちが強い。

■中山選手とはどんな話をしたか?またチーム状況を考えると発表も難しかったのでは?

中山さんに限らず、ほぼ全ての方に(引退するの)まだ早いんじゃないかと言ってもらえた。自分自身、周りの言葉が嬉しかった。中山さん自身もそうですが、自分の身体のボロボロな状況を詳しく知っているので、それ以上の強い慰留というのはなかったです。ただ一緒にピッチに立っている時間が長かったので感謝の言葉も言って頂けましたし、僕自身もそれ以上に感謝しています。

引退会見のタイミングは、いろんなタイミングを考えていたのですが森島(セレッソ大阪)ぐらいのタイミングよかったのですが、彼が「先行くぞ」と言うことで、先に行かれてしまった(笑)。後は日程を考えて。日本代表の試合も昨日ありましたし、新聞の記事的にもかぶらないかなという腹黒い計算で、本日という日になりました。

■壇上にはこれまでのユニフォームが並んでいますが、一番最後にサックスブルーのユニフォームを着て現役を終えるということはどのような思いですか?

そのことは必ずこの会見で話さなければいけないと思っていたのですが、復帰する場・きっかけを与えてくれた内山篤前監督が強い口調で「とにかくお前はここでやめなきゃダメだ」と言っていただいたので、その意思・気持ちを強く感じて、チームにも恩返しをしたいなと考えていました。もちろん、当時の右近社長や現在の馬淵社長など、フロント幹部の方々に受け入れていただく体制を作って頂いたので、とにかくプレーでも人間的にも恩返しをしたいとユニフォームに袖を通す決意をしました。

■これまでサッカー選手として一番うれしかった瞬間は?

俗に言う「黄金期」というのを築けたのが、一番いい思い出です。その試合、そのゴールとか瞬間的なものではなく、強くなるまでのプロセスに、自分自身がチームの力になれて、たずさわれたのが一番の思い出です。

■ここまで応援してくれたサポーターに伝えたいことは?

14年間といってもすべてジュビロにいたわけではありませんが、応援していただいて、感謝の言葉を並べても並べても足りないくらいです。僕は中山さんと1,2を争うくらいジュビロを愛していますし、今後もジュビロの力になりたいという気持ちは誰よりも強いです。そういうものを全身全霊をかけてやっていきたいと思っているので、引退後も温かく見守ってほしいということがまず一番。

■ジュビロでの思い出深い出来事やタイトルは?

チームメイトに恵まれていたので、スキラッチ、中山さん、高原、俊哉とか、今は前田とか、ゴールゲッターに恵まれていた。自分の役割をはっきりさせてくれたチームメイトだったので、本当に彼らと一緒にプレーできたこと、ゴールシーンにたくさん絡めたことが、一番の思い出。

■藤枝の出身で、清水商でプレー、そして磐田に入った。地元でサッカーをし続けたことについては?

僕はいまだにサッカー王国というのは静岡だと思っているし、生まれた藤枝もサッカーの町でいいところに生まれたと思う。その後、あと清水に越境入学して、サッカーの清水でハイレベルなレギュラー争いや数々のタイトルも取りましたし、本当にいい思いをさせてもらいました。ジュビロも含めて、いろいろな岐路に立たされたときの自分の決断が、ここまで間違っていなかったと、自信を持って振り返ることが出来ます。



■後ろに歴代ユニフォームが並んでいるが、愛着の深いユニフォームは?

やっぱり完全制覇した2002年ですね。 唯一心残りなのは、セレッソ時代に自分の力を認めていただいて、残留させるために呼んでいただいたのに降格してしまって、今なおJ2にチームがいるのが、僕の責任が大きいと思うので、唯一それが悔しいと思うところです。

■14年前入団したときと、今の自分と、サッカー人として、人間として、一番変わったのはどういう部分か?

まだまだ自分は未熟なので判断できませんが、14年前に見にいらした方は分かると思いますが、僕は14年前の入団会見で「自分の左足の下にボールがあるときには注目してくれ」と豪語しました。14年たって、メディアの活字も含めて、「左の名波」とか「名波の左足」というのが、僕の最も好きなフレーズです。名波は左利きなんだと、とにかく左を注意すればいいという相手チームのそういう意識も含めて、14年間でそれを浸透できたのが、僕にとっては有言実行できたので、それもまた自信になりました。

■ いずれ指導者としてこのチームを指揮したいと思っているか?

C級、B級ライセンスは取得できたので、そういった選択はもちろんあるし、先ほども言ったが、「ジュビロ愛」が僕は非常に強いので、ジュビロ以外は考えられない。今現在はそういう気持ちでいます。入団したのも、試合に出られるのも、ジュビロでよかったと今なお思えているので、できればこのチームで指導をスタートさせたいと思っています。

■「ジュビロ愛」という言葉があったが、セレッソ、ヴェルディでもプレーしたが、他のチームにないジュビロの魅力は?

時代が変わると、サッカースタイルも、指導者もフロントの方も入れ替わるが、一概にひとつの答えはいえないが、将来のビジョンを常に持っていて、何年後かの理想の結果や目標に向かって、チームみんなでそれを作り上げていこうという(姿勢)。目の前の試合ももちろんだが、将来的なビジョンを明確に持っていて、フロント・選手一体となって突き進んで行こうという、そういうスタイルが僕は大好きです。

■引退について、一番最初に相談したのは誰か?

自分自身、四方八方で言っていたので(笑)、よく覚えていません。

■残り3試合、J1残留がかかった試合への意気込みを。

僕の引退と残留とは全く別物。僕がプレーする機会があれば、もちろんそんな気持ちは捨てて、チームが勝ち点3を取るために全力を尽くすのはもちろんですし、チームメートも「名波のために」という気持ちは捨てて、チームをとにかく残留させて、来年への道を作っていってほしいと、切実に思っています。

■フランスW杯など日本代表としての思い出の試合は?

日本代表に小さい頃からの目標ではありましたが、まさか(代表に)入って何十試合も出られるなんて、漫画でも描けないかなと、自分自身では思っていた。W杯はもちろんだが、いろんな試合に出て、国際試合を経験させていただいて、非常にうれしく思うし、だからこそこの1試合というのはなく、全てのゲームに全力でやれたので、それが一番の思い出。

■ 「左の名波」というフレーズが好きとおっしゃっていたが、14年間で後継者と感じる選手は?

対外的にも口にしている、上田康太と、今は期限付き移籍で鳥栖にいる船谷圭祐の2人に関しては、これからジュビロを引っ張って行くという立場で考えると、後継者という言葉があうかどうかは分かりませんが、中心選手としてうまく育っていってもらいたい。

■ベネチアに行っていた期間の経験を、今はどう考えているか?

事の発端は、フランスW杯の後、中田英寿がイタリアに移籍して、自分も行ってみたいと漠然と思ったのが最初だが、ジュビロから「J1で優勝しないと行ってはいけない」といわれたのですが、2ステージ制の時にファーストステージで晴れて優勝して、自信を持ってイタリアに行くことができました。その後、言葉の壁やサッカーの違いなどいろいろな壁にぶつかりましたが、イタリアでの1年は、プロサッカー選手としてはもちろん、人間的にも一回りも二回りも大きくしてくれた。それが後に2000年のアジアカップで自分自身がそれを体験できた。こんなにもやれるんだ、たった1年でこんなにもパフォーマンスレベルが上がるんだと実感できたことは、続く後輩たちにも伝えていっている部分だし、指導者の道に進むことがあれば、それを伝えていきたい。それくらい大きな経験でした。

■日本代表の先輩として、今の日本代表がどのように映っているかということと、W杯予選真っ最中ですが何かアドバイスがあればお願いします。

「W杯予選というのは、どこの国でもそうだと思いますが、何が起こるかわからないというのが常ですし、とくにアジアはアウェーでの移動距離が非常に長く、国内リーグの過密日程とか、海外組との融合する時間の短さとか、さまざまな問題もありますし、今現在はケガ人もたくさん出ていますが、とにかくコンディションさえ整えば、予選突破というのは僕は明るいと思っているので、心配はしていません。ただ、本大会に行った後に、どれぐらい日本らしさを出すとか、選手個々でどれだけ自分のパフォーマンスを世界にアピールできるかというものは、もっと上を見ても良いと思います。個人名は出しませんがケンカをしたり、話し合いの場というのをたくさん持って、チームをみんなで作っているんだという認識の下に、チームごと個人も成長していってほしいなと思います」

■当時に比べて、今は強くなっていると思いますか。
「それは間違いないと思います」