1972年4月、後に社長となる荒田忠典を監督に迎え、ジュビロ磐田の前身となる「ヤマハ発動機(株)サッカー部」が創設されました。 静岡県社会人リーグや東海社会人リーグで数々の優勝を積み重ね、 79年より日本サッカーリーグに闘いの場を変えました。
国内サッカーの最高峰となる“Jリーグ”が開幕した93年には、ヤマハ発動機(株)サッカー部は「ヤマハFCジュビロ磐田」に改名し、翌94年よりJリーグに参戦することとなりました。
ハンス・オフト監督の指導のもと、ジュビロ磐田は確かな基盤を築き上げ、97年に念願のリーグ優勝を果たしました。 ここから“黄金期”を迎え、数々の国内タイトルを獲得するとともに、 アジアクラブ選手権に出場し、遂にはアジアNo.1クラブの称号を手に入れました。
また、日本代表にも数多くの選手が選出され、 02年にはリーグ史上初となる2ステージ完全優勝を成し遂げました。
再びタイトルを獲得できるチーム作りのため、育成組織の充実化を図り、「育てて強いチームづくり」を目指しています。
「育てて強いチームづくり」を掲げ、トップチームだけでなく、育成・普及の組織を強化するとともに、育てた選手をトップチームに昇格させ、チーム全体のレベルアップに繋げています。
U-18 所属選手たちは、トップチームが日々練習している大久保グラウンドに隣接するJubilo Club House Athlete Centerに入寮し、トップチーム昇格を目指して切磋琢磨しています。
ジュビロ磐田は、将来を担う若い選手たちの環境面をバックアップしています。
GK
八田 直樹
DF
森岡 陸
DF
松原后
DF
小川 大貴
DF
伊藤 槙人
MF
上原力也
MF
山田 大記
DF
鈴木 海音
MF
山本 康裕
MF
藤原 健介
FW
後藤 啓介
2022シーズン
約18.3万人
2021シーズン
約12.5万人
月間平均閲覧数
約292.2万PV
(2022年1月~10月平均)
月間平均アクセス数
約23.6万UU
(2022年1月~10月平均)